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【考察】映画「パラサイト」〜石の意味するもの〜

 

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映画「パラサイト 半地下の家族」

監督:ポン・ジュノ

裕福な家族の貧しい家族の出会いから巻き起こる人間ドラマを描いた作品。

第72回カンヌ国際映画祭パルムドール受賞。

 

満足度:95/100

鑑賞後の満足感はここ数年でNo.1でした。めちゃくちゃ面白かったし、感心しました。1本の映画とは思えない程に濃密な作品でしたね。

なんと言ってもこの映画の凄い所は「描写の細やかさ、伏線の豊富さ」に尽きると思います。

 

※以下ネタバレ解説注意!

※あくまで個人的な見解を述べておりますが、逐一文末に「〜だと思います」と書くのは面倒なため、所々断定調で書かせて頂きます。ご容赦くださいませ。

 

「格差」の描き方

映画「パラサイト」は「格差社会」というテーマが軸に据えられています。作中では経済的地位の異なる2家族(3家族)が登場し、このテーマが終始強調されていましたね。この「格差」を印象付ける道具として、「高低」「明暗」「におい」の3つが特に効果的に用いられていたように思います。

 

その1「高低」

これは家のある場所のことです。

大富豪パク家は坂の上、大貧民キム家は標高の低い土地の半地下にありました。これはパク家へ面接を受けに行く場面や、大雨の中たくさんの階段を駆け下りキム家へ逃げ帰る場面で描かれてます。

住処の物理的な高低差が、彼らの上下関係や地位の高低を表しているのです。

 

その2「明暗」

これも彼らの家の描き方についてなのですが、パク家とキム家が登場する際の光の量が大きく異なっていたように感じました。

まず、外観を映す時間帯について。パク家は昼や夕方に明るい光に照らされた様を描かれていたのに対し、キム家やその周辺は全体的に薄暗い雰囲気の中、光量控えめに描かれていました。

次に、窓の大きさについて。パク家には大きな窓が多く太陽光が燦々と差し込んでいたのに対し、キム家は半地下にあるため、窓も申し訳程度のサイズで陽当たりは最悪です。

住処を描く際の画面の明暗によって、彼らの対比がより強調されています。

 

その3「におい」

最後に「におい」について。作中終盤にこんな場面がありました。(うろ覚えなので間違っていたらすいません。)

 

パク家の主人「運転手(ギテク)から変な匂いがして我慢ならない。雑巾のような地下鉄のような匂いだ。」

パク家の奥様「地下鉄なんて何年乗ってないかしら…」

 

これはギテクがドンイク(社長)を刺す動機にもなった重要なやり取りなのですが、非常に印象的です。

富裕層は運転手を雇い、地下鉄を利用することなどありません。そのため「地下鉄」、そして「におい」が貧困層の象徴となっており、作中で「におい」は半地下から抜け出さない限り取れないと述べられる場面があることから、「におい」が社会的地位を示すラベルとして強力な役割を持つことが分かります。富裕層のドンイクが「におい」のする貧困層のギテクに嫌悪感を示すことで、両者の格差、断絶が強調されています。

 

以上三つの要素に分けて本作品の「格差」の描き方について考察してみました。

次は、その他の印象的な物や場面の持つ意味や役割について考えていきます。

 

散りばめられた「象徴」

まず、本作品における「象徴」的な場面を4つ挙げ、それぞれ考察していきます。

 

その1「コンドームと本」

パク家の地下には、かつての家政婦さんとその夫が生活していましたが、その彼らの家の様子を細かく描く場面があり、多数の本や避妊具が映されました。この場面から、地下に住む彼らも一定の教養を持つこと、愛する人が居ることが窺い知れます。

また、別の場面でドンイク社長と奥様がイチャイチャする描写がありましたが、これは貧富や地位の差はあれども人間として根本的に同じ部分があるのだというメッセージだと受け取りました。

さらに、ドンイク社長が車中で「奥様を愛していますよね?」というギテクの問いかけに歯切れの良い答えを返さなかったこと、ヨンギョ(奥様)の頭が"simple"であるという数々の描写から、人間として社長夫妻は地下の家政婦夫妻に劣っている、という見方もできるかもしれません。

 

その2「北朝鮮

家政婦の夫はしばしば「リスペクト!」と叫び、ドンイク社長への忠誠を語りましたが、中でもパク家の照明を操作するボタンを押しながら叫ぶ場面は狂気を感じました。

また、キム家の正体を暴く動画を収めたスマホのボタンを、ミサイル発射ボタンに見立てて北朝鮮のアナウンサー(?)のモノマネをする場面もありました。

この二つは完全に北朝鮮人の絶対的忠誠、北朝鮮の政治スタイルを馬鹿にしてますよね笑。モノマネが上手で笑ってしまいました。

 

その3「石」

これはとても象徴的ですね。「象徴的」という言葉は作中でギウ(キム家の長男)の台詞に何度か登場しましたが、まさにその通りだと思います。

体育館に避難する場面で、「この石が僕から離れないんだ」という台詞があったかと思います。この石が明らかに何かのメタファーとなっていると思い色々と考えたところ、次の結論に至りました。

それは、「石はギウの持つ欲」というものです。もう少し詳しく言うとお金への「欲」、富裕層のような暮らしがしたいという「欲」です。

ギウは友人から石を譲り受け、大富豪パク家への寄生を始めます(「欲」の発現)。その寄生計画が潰れかけた大雨の夜(「欲」の危機)に、「石」は家もろとも沈んでしまうかと思われたが、ギウはそれを救い出し抱えます(「欲」への執着)。翌日その「石」とともにパク家に赴き家政婦夫妻を始末しようとする(「欲」の障害の排除)も、逆にその「石」を持った男によって半殺しにされてしまいます。他にも色々な解釈がありそうですが、これは割としっくりくる考え方ではないかと思います。

 

その4「モールス信号」

夫が瀕死の妻を助けようと照明のボタンでSOS信号を送る場面がありました。この信号はパク家の長男ダソンによって気付かれ、解読されますが、結局救いの手が差し伸べられることはありませんでした。

この場面において、助けを求める貧民は富豪の家の地下に居ます。にも関わらず助けを求める声は届かない。一番近くにいる弱者の存在にすら気づけないのだから、弱者の悲鳴が強者に届くことは無いのだという格差社会における圧倒的な絶望感が感じ取れます。

 

豊富な「伏線」

次に、本作品における「伏線」といえる場面について考えます。

 

トラウマ

パク家の長男が、ケーキを食べている際に幽霊に遭遇し、それがトラウマとなったとヨンギョ夫人が述べる場面。

これは後に誕生日パーティにて幽霊の正体である地下の家政婦夫が刃物片手に暴れ回る場面の伏線となっていますね。鑑賞中、返り血でインディアンのような見た目となった男がスクリーンに映った瞬間、私はこれから起こるトラウマ的出来事の訪れへのワクワクとフリの丁寧さのおかしさから、笑いを堪えきれませんでした。一番好きな場面です。

 

Wi-Fi

上の階のWi-Fiを拾おうと悪戦苦闘する場面から本作品は始まりましたが、この場面も後への伏線となっていました。

それはパク家の地下の家政婦夫妻に動画を撮られてしまった場面です。確かギウの「地下なのに電波が入っているのか?」という台詞がありましたが、この緊迫した場面で序盤のほのぼのしたやり取りを再現するか、と感心しました。

 

まとめ

書きながら改めて映画「パラサイト」の細やかさを感じましたが、上に挙げたものの他にもまだまだたくさんの伏線やメッセージが隠されているのだろうと思います。

また、コメディあり、サスペンスあり、血飛沫ありと非常に欲張りな作品であると思います。特に、この映画の登場人物の中に誰一人として明確な悪意を持った人間が存在しなかったにも関わらず、死者が複数出るほどの惨劇が巻き起こされたという点にホラー性を感じました。

盛り込まれた多様な要素、伏線、メッセージとそれらを窮屈に感じさせない緻密な設計にただただあっぱれと言いたいです。

私はもう一回映画館に観に行く予定です。

皆さんも是非、2度目3度目の鑑賞をされてはいかがでしょうか。新たな発見があるかもしれません。

 

ここまで読んで頂き、本当にありがとうございます。

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今回が初のブログ投稿ということで、色々と改善点もあると思いますが、少しでも楽しんでいただけたのであれば、とても嬉しいです。